寺は学校ではない


2015.10.24更新
寺は学校ではないんですよね。
僧侶は葬式やその他たくさんの種類の仏教行事を行いますが学校の先生はやっていません。
仏教を学問(哲学、文学、文献学など)として勉強したい人は寺に来ても目的を果たせません。
勉強したいなら大学に行ったり、大学の先生が書いた本を買って読めばいいと思います。
タイの寺でそれを超える知識を得られることはありません。
ほぼ100%のタイの僧侶が教義とか学問的にお経に何が書いてあるかとかはほとんど興味ありません。
少しは知識はありますが大学でするような仏教の勉強をしたことがある人は限りなくゼロに近いです。
寺は大学ではないのですから当たり前と言えば当たり前です。
とは言いましたけど、少しなら学ぶことができるかも知れません。
教義を学びたいから出家したいと言う方へを読んでください。
とりあえずタイの僧侶は仏教知識の問答をする相手としてはふさわしくない場合が多いということです。
そして仏教知識の有無に関わらず問答を嫌うタイ人が多いです。
私は寺とは関係なく個人的に子供の時にパーリ聖典を読破したことがあります。
ですからタイの僧侶の割には知識があるほうかも知れません。
そして日本人平均に比べれば知識があるほうだとも思っています。
日本で仏教に興味持って勉強された方は漢訳の大乗仏教しかやっていない場合がほとんどでしょう。
私は全く真逆なんです。
パーリ語の小乗仏教しかやっていません。
大乗と小乗は別宗教です。
そして今はパーリ語といってもタイ語なまりのパーリ語だしタイ語を使っているんです。
タイ語の本を読むことはあっても日本語の本を読むことはありません。
日本語の本はバンコクでも行かなければ売っていませんから。
そんな私に「歎異抄(たんにしょう)読んだことありますか?」と聞かれても「読んだことありません。」という返事しか返ってきません。
仏教関係の質問をされた時に日本人に分かるように答えることが難しいことがあります。
「唱えているお経の名前を教えてください。」とか言われても、タイ文字が読めない人に言ってみたところで何の意味があるのかが分かりません。


タイ仏教出家僧侶ウィスッタスィーローのホームページ